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2008年7月25日 (金)

旭日鳩:初靖国

抄訳版 アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21)

買ったきっかけ:
戦争への関心

感想:
日本の近代史の理論

おすすめポイント:
少なくとも、太平洋戦争への理由では、十分ではないが、一番、筋のたった説明

抄訳版 アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21)

著者:ヘレン ミアーズ

抄訳版 アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21)
 初めて、靖国に行ってみた。意外に、外人が多い。お参りしたあと、資料館へ。入り口のゼロ戦に感動。思ったより大きい。それにしても、何て美しいんだ。機能美の一つの究極である。800円の入場料払って、展示を見る。私は、もともと、靖国の再国営化、かつ、A級戦犯の分祀がよいと思っていたのだが、(A級戦犯の分祀はともかく)それは不可能と悟った。靖国は、遺族のための施設なのだ。全ての遺族に、あなたの親族の死には意味があったと慰める場なのだ。それは、もちろん、全ての戦争に適用される。私は、日中戦争の意義ってあまりわからないし、無駄な戦線の拡大であったと思うのだが、そのあたり、冷静な歴史への視座が保たれることを主眼とおいた施設ではないのだ。さすがに、それは、現在の政府の公式見解とするわけにはいかない。それにしても、当時、中国において、アメリカと日本は、何が対立したのだろう?帝国主義・ブロック経済の時代、日本は、権益と国防を兼ね、満州を狙った。それは、中国の他の地域を分断していた欧米列強の利害とも、ロシアの南下を防ぐという意味で、一致していたと思う。一方、アメリカという国は、19世紀以来、一貫して、中国市場を狙い、自由経済を主張して、現在に至っている。その意味では、アメリカと対立するのは、日本だけでなく、当時、中国をブロック化していた英仏等も同じだと思うだが。実際、名著「アメリカの鏡・日本」(超名著!)でも、当時の日本人・日本政府自体も、そのへんの不公平が理解できず、結局は、人種差別ではないか、との反発が、アメリカとの戦争を加速させたという論調である。日中戦争・太平洋戦争には、そもそもその成立から、なぞが多いと思う。

2008年4月18日 (金)

日本のまごころ:シリーズ「日本のまごころ」に託すところ

このシリーズは、ソフトウェアとしての日本、日本人とは何かを感じ、考えるシリーズです。次代に、そして世界に残す形にならない日本の文化の普遍的な側面についての随筆、書評などから構成される予定です。

 今、巷には、「武士道○×」、「△□武士道」といった本が、溢れている。これは、戦後五十年以上を経た現在、社会、経済の混迷の只中にいる多くの日本人が不安を感じ、精神的、倫理的支柱を探し求めている表れであるとしか言いようがない。このページ「日本のまごころ」も、まさにその動機で作成された。
 私自身、恐らく標準的な日本人より遥かに多く、武士について考え、文献に当たり、そして何よりも感じてきた者であり、日本人が、世界に、そして次代に残すべきソフトウェアとして、所謂、「武士道」と呼ばれるものは最重要であると考えている者である。その重要性については本ページの議論の中心であるにも関わらず、本ページのタイトルからは、敢えて武士道やそれを連想させる言葉を外した。それは、以下のような理由による。
 一言で言うならば、確かに十九世紀の帝国主義の中、アジア・アフリカで日本を真に植民地化を免れしめた精神的原動力は、紛れもなく武士道であったにも関わらず、武士道は日本人大半の気分や倫理観を代表せず、多くの日本人の共感を呼ばないものであるからである。
 そもそも武士道は、日本の黎明期より存在したものではない。例えば、大化の改新から白鳳天平時代までを描いた里中満智子の長編漫画「天上の虹」を読んでいただくと感じると思うが、貴族の持つ価値観・倫理観は、後世の武士のそれとは大きくかけ離れている。一言で言うと、節操が無いというべきか。性的な倫理観に至っては、コギャルもびっくりである。ただ、人生の節目、四季折々に際した「もののあわれ」に対する感性は、その後も脈々と受け継がれてきたことが見て取れる。
 人口構成比的には、武士は、高々五パーセント強と言われている。私は日々、日常あらゆるところにゴミが投げ捨ててあることに不快感を感じている。以前は、それは、戦後の偽個人主義教育や都市化に伴う地域社会の崩壊などによると思っていた。ところがある日、家内の実家近くで、老人が人目も憚らず川にゴミを捨てているのを見て、その考えは一変した。家内の実家付近は、人の交流も昔ながらで、街並みも古く美しい。なのに戦前に教育を受けたはずの老人が・・・。その時、ゴミが投げ捨ては、戦後社会の問題では無く、大半の日本人が元々自分の住む社会に関心や責任感、誇りが無いことの現れであることを理解したのだった。幕末や明治の有名無名の人の社会に対する関心や責任感を物語るエピソードは恐らく、武士やそれに近い精神性を持った少数の人についてのもので、大半の日本人にとって、世の中とはずっと、「お上」が勝手に決めるもので、それがどうであろうとどうでもよいものであったのだ。
 決定的だったのは、太平洋戦争における敗戦である。武士道やそれを連想させる気分や価値観、倫理観は、丸ごと軍国主義と結び付けられ、意識的にも無意識的にも日本社会において否定的な扱いを受けてきた。
 実際に、同和問題など封建社会の負の遺産も少なくはない。
 繰り返すが、所謂、「武士道」の精神は、貴重な精神的遺産であると私は考える。しかしながら、その負の側面を拭い、戦争体験を含め、全ての日本人の経験や感性を統合し、高度に結実させるためには、「武士道」とは異なる言葉が相応しい。「日本のまごころ」という言葉には、そのような思いを託した。(10/9/2004)

(旧ホームページからの再録・編集)

2007年3月20日 (火)

旭日鳩:戦争体験と”真理”

本ブログでは、戦争関係の記事には、「旭日鳩」というサブカテゴリー名を付けます。先の戦争は、日本人にとって未曾有の大戦争でした。そこから得られることは、非現実な平和主義であっても、その反動のネオ軍国主義であってもなりません。そのような表層的対立軸を遥に越えるためのシンボルとして「旭日鳩」なるものを考えました。

私は、科学者のはしくれでありますから、”真理”、つまり、多くのことを理解し予測するための原理や法則を追い求めます。しかしながら、戦争体験からは、拙速な”真理”を求めようとしてはなりません。ある物体をある角度から見ると円なのに、横から見ると四角、上から見ると三角、ということだったありえます。そのどれもがその物体の性質なのです。戦争にまつわることがらを詳らかにし、シンプルかつ包括的な体系を構築する努力をする一方、つねにその体系を破壊する注意も必要です。構築と破壊という戦争体験そのものへの尽きぬ働きかけをすることこそ、多くの人々の犠牲に応える唯一の態度なのかもしれません。

2006年7月17日 (月)

小野田寛郎 著「たった一人の30年戦争」東京新聞出版局(1995)

HPの冒頭に「人間は、一人で生きていかなければなりません。けれども、一人で生きていくことはできません」と述べた。私のような者がそう述べたところでたいしたことはないが、“終戦”後、30年足らずジャングルで戦い続けた小野田さんがそういうと、まさに千金の重みである。小野田さんが長年苦楽を共にした小塚氏が昭和47年になって戦死した意味は、そのあたりにあるように思う。リニューアルした本サイトが、最初にご紹介するに余りある、現代日本人が原点とすべき書である。(7/17/06)

たった一人の30年戦争 Book たった一人の30年戦争

著者:小野田 寛郎
販売元:東京新聞出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

日本のまごころ;武士道は日本固有の精神だが日本人一般の精神ではない

今、巷には、「武士道○×」、「△□武士道」といった本が、溢れている。これは、戦後五十年以上を経た現在、社会・経済の混迷の只中にいる多くの日本人が、精神的・倫理的支えを探し求めている表れであると言えよう。十九世紀の帝国主義の中、アジア・アフリカで日本を真に植民地化を免れしめた精神的原動力が武士道であったということは、多くの人の同意を得るところであろうが、社会が大きな変換期を迎えたいま、その新たな難局を乗り切るための精神的原動力として「武士道」がクローズアップされるのは、納得のできるとことである。
私自身、恐らくは標準的な日本人より多く武士について考え、書物に当たり、そして何よりも感じてきた者であり、日本人が、世界に、そして次代に残すべきソフトウェアとして、所謂、「武士道」と呼ばれるものは最重要であると考えている者である。にも関わらず、武士道は日本人大半の気分や倫理観を代表せず、多くの日本人の共感を呼ばないものであると考える。それは、以下のような理由による。
 そもそも武士道は、日本の黎明期より存在したものではない。例えば、大化の改新から白鳳天平時代までを描いた里中満智子の長編漫画「天上の虹」を読んでいただくと感じると思うが、貴族の持つ価値観・倫理観は、後世の武士のそれとは大きくかけ離れている。一言で言うと、節操が無いというべきか。性的な倫理観に至っては、コギャルもびっくりである。ただ、人生の節目、四季折々に際した「もののあわれ」に対する感性は、その後も脈々と受け継がれてきたことが見て取れる。
 また、人口構成比的には、武士は、高々5パーセント強にすぎなかった。私は、日常あらゆるところにゴミが投げ捨ててあることに不快感を感じている。以前は、それは、戦後の偽個人主義教育や都市化に伴う地域社会の崩壊などによると思っていた。ところがある日、家内の実家近くで、老人が人目も憚らず川にゴミを捨てているのを見て、その考えは一変した。家内の実家付近は、人の交流も昔ながらで、街並みも古く美しい。なのに戦前に教育を受けたはずの老人が・・・。その時、ゴミが投げ捨ては、戦後社会の問題では無く、大半の日本人が元々自分の住む社会に関心や責任感、誇りが無いことの現れであることを理解したのだった。幕末や明治の有名無名の人の社会に対する関心や責任感を物語るエピソードは恐らく、武士やそれに近い精神性を持った少数の人についてのもので、大半の日本人にとって、世の中とはずっと、「お上」が勝手に決めるもので、それがどうであろうとどうでもよいものであったのだ。
 決定的だったのは、太平洋戦争における敗戦である。武士道やそれを連想させる気分や価値観、倫理観は、丸ごと軍国主義と結び付けられ、意識的にも無意識的にも日本社会において否定的な扱いを受けてきた。
 さらに、実際に、同和問題など封建社会の負の遺産も少なくはない。
 繰り返しになるが、所謂、「武士道」の精神は、貴重な日本の精神的遺産であると私は考える。しかしながら、その負の側面を拭い、戦争体験を含め、全ての日本人の経験や感性を統合し、高度に結実させるためには、「武士道」とは異なる言葉をキーワードとするのが相応しい。「日本のまごころ」という言葉には、そのような思いを託した。(10/9/04; 7/17/06一部改変)